下関といえばふぐ。
ふぐの通販といえば藤フーズ。

下関名物ふく、そしてくじら。

下関の名物はふくだけではない

水産都市の下関では、ふぐだけでなくくじらやあんこうも名産品

今日は、くじらの話をしたいと思います。ふくではなく、くじらです。水産都市である下関では、「ふく」「うに」「くじら」「あんこう」「いか」を水産物5大ブランドとして掲げ、さまざまな事業を実施しています。ふくとあんこうは私ども藤フーズでも取り扱いあるので、ある程度認識はされているのではないかなあと思います。うに、いかも、このコーナーでも紹介しました、まつ崎さんでも取り扱われているように名産品。

じゃあくじらは?そこを少し紐解いていきたいと思います。


近代捕鯨発祥の地だった下関市

歴史ある下関市の捕鯨船

ここからは、下関市のホームページを少し要約して記載。詳しくはこちらから。

下関市は近代捕鯨発祥の地とされていた。第二次大戦前後を通して、南氷洋捕鯨の基地の役割を果たしており、鯨肉などの交易と加工技術などの交流が行われる中継地だった。そこで培われたくじら料理の数々。南氷洋捕鯨が盛んだったあの頃、多くの「モノ」と「ヒト」が行き交い大きく賑わっていたらしい。その中での「くじら」は、食材として、また料理として、下関市水産業発展の一端を担う存在だった。

しかし1982年にIWC(国際捕鯨委員会)で、商業捕鯨モラトリアム(一時停止)が採択され、1987年下関港に捕鯨船が帰港したことを最後に商業捕鯨が停止。
それを受け政府は、国際法及び科学的根拠に基づき、鯨類資源管理に不可欠な科学的情報を収集するための鯨類科学調査を実施し、

  1. 鯨類資源は重要な食料資源であり、他の生物資源と同様、最良の科学事実に基づいて、持続的に利用されるべきである。

  2. 食習慣・食文化はそれぞれの地域におかれた環境により歴史的に形成されてきたものであり、相互の理解精神が必要である。


という基本認識の下、商業捕鯨の再開を目指した。そして、平成30年12月に国際捕鯨取締条約からの脱退を表明し、令和元年7月1日からEEZ(排他的経済水域)内での商業捕鯨が再開され、下関市は日新丸船団が実施する沖合の母船式捕鯨業の基地となった。下関市は、日新丸捕鯨船団の入出港の支援や鯨食文化の継承、鯨肉の消費拡大などの取組を通じて、鯨類資源の持続的利用と捕鯨産業の発展を目指している。


歓迎するくじら料理プロジェクト発動

ふくやくじらなどの下関の名産が入った刺し身の盛り合わせ

2022年10月感動する鯨で、感鯨を発表します。ココ最近の観光産業は、観光の中心・観光資源に新しいものをつくろうとしている。下関のくじらは、歴史的に商業捕鯨がバックボーンにあり、30年ぶりに復活した。つまりは、くじらの文化が復興した。鯨を食べる文化は廃れている。官民一体となって取り組んでいます。従来のくじら料理、プラス現代のくじら料理を和洋中のメニューで飲食業界をあげて、取り組んでいく所存です。