円熟の百貨店戦略
ダイレクトマーケもレッドオーシャンも知らんかったけど。 百貨店でふぐを売るということが、一番売れると思っていて、そしてそこが宅配の延長線上にあるんじゃないかなと勝手に思って突き進んだ黎明期。藤フーズのダイレクトマ...
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ダイレクトマーケもレッドオーシャンも知らんかったけど。 百貨店でふぐを売るということが、一番売れると思っていて、そしてそこが宅配の延長線上にあるんじゃないかなと勝手に思って突き進んだ黎明期。藤フーズのダイレクトマ...
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青木が車寅次郎に出逢ったあの頃 中学生の頃、親父に連れられて、みなと劇場という映画館にいった。下関駅の西口にあった。寅さんを観に行っていた。寅さんがいちいちカッコいい。もう一つは女性に優しい。寅さん女の前では男前...
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意外にも生まれは奈良県。そのあと下関に。 18歳で防府の料亭に住み込み3年間働いた。 下関に帰ってきて、長府のお寿司屋さんでさらに修行をした。 腕に自信があった。だから自分自身の店を持ちたいという欲望が強くなっ...
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ときはヤマト運輸のクール宅急便が大流行な時代。 組合長に掛けられた言葉は、「おまえやってみないか?」。喜びに浸りながらも、血が騒いだ。多分ここで、はじめて商売人の血が騒いだ。それまでは職人気質だった血が騒ぐこと...
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とにかく東京に向かった。 そのちょっと前の話。当時、ホントに無知で、物流の意味が分からなかった。手づくりのパンフレットを作った。NTTに電話帳を借りて、手づくりのパンフレットを送った。送り先は花の都大東京の百貨店...
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これまでは大手商社を通して、下関のふぐを販売していた。 その大手商社を通さずに直接、百貨店さんとやりとりができた。そうすると、間の中間マージンが発生しない。なので、売る方も高く売れて、買う方も安く仕入れることがで...
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初めてあったときにどんな人かなんてわからない。 でも、初めての人に買ってもらわないと商売なんてうまくいかない。百貨店は難しい、難しいと言われる。でも、その百貨店がお客様。難しいなら攻略しないと。最後は人の縁。やっ...
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それはふぐの宅配の不評がすごかった。 だからうちの会社でいけるんじゃないかな?と勝手に思った。プロの調理場から食卓へ。ちゃんと美味しいふぐを売ることに日夜努めた。行き着く先がなまびきであった。そして、朝どれチリ。...
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これはあまり喋ったことないけど。 私が居酒屋をしていたときに藤永鉄鋼という会社の社長が、お客様でいらしてた。人柄にも憧れるすごい社長さんだった。その会社がある日倒産した。そしてしばらくして、その社長が川棚でホテル...
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とある会社の下請けだった。そこの会社と喧嘩した。 それからしばらくして、その喧嘩した会社から独立するという人がいた。その人たちが独立して、その喧嘩した会社と付き合うのではなく、独立したところと付き合って欲しいと懇...
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